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長崎県の医療史
戦後の医療史
昭和時代(21年〜30年)
21年
(1946)
稲松志可太(昭和21年1月15日〜昭和22年2月10日)

(写真は、稲松会長)
長崎市内に天然痘流行。市衛生課、職域ごとに種痘を実施。
長崎県医師会長に稲松志可太就任(1.15)。
長崎市新興善小学校、校舎を長崎医大附属医院に引き渡し皓台寺に移る(2.9)。
長崎県医師会第6回定時総会(3.23)。
4・−長崎医大、大村海軍病院より諫早永昌町の元佐世保海軍病院諫早分院に移転、以後、新興善校を医大附属第一医院、諫早分院を同第2医院とす。長崎慈恵病院発足。戦後初の衆議院選、栗原大島太郎医師(南高医師会)が初当選(4.10)。
長崎港停泊の機帆船乗組員にコレラ患者が発生(7.15)。
長崎市出島町に性病対策として県立出島病院発足(10.1)。
第1回医師国家試験が実施される(11.1)。
長崎県医師会第7回臨時総会(12.23)。
「原田氏病」の発見者で知られる眼科医の原田永之助(長崎市)が死去(12.30)。
22年
(1947)
日本医療団解散(1.24)。
長崎県医師会長 稲松志可太、公職追放令で会長辞任(2.10)。
長崎県医師会第8回定時総会(3.29)

会  長 高尾克己
副会長 西川 茂

クリックすると拡大できます。更に4.15補充して、専務理事に小林 茂、理事 貝田 勇・深堀保郎・辻村秀夫を選出。長崎県医師会第9回臨時総会(6.5)。
長崎医大復興期成同盟会、長崎市役所で総会を開き、再建を準備(7.17)。
長崎市立長崎病院に隔離中の伝染病患者は41人と発表される(7.23)。
長崎県医師会第1回理事会を開く(8.24)。
長崎医大、浦上の大学に移転し復帰式を挙行(10.25)、9.11まで大学本部の一部を新興善小学校から浦上の大学に移し、基礎医学教授及び学生の一部は諫早から浦上に外来本館・高北病棟に復帰。
長崎医大・グビロガ丘に被爆犠牲者の慰霊碑を建立(11.12)。
長崎県医師会第10回臨時総会(12.17)。
23年
(1948)
長崎県医師会第2回臨時代議員会(1.15)。
G.H.Qの指令により会長 高尾克巳、副会長 西川 茂が辞任。
昭和17年12月国民医療法の制定による官制医師会役員歴のある者は新制医師会役員に就任できないことになり、新制長崎県医師会役員の構成は次のごとく決定した。

会 長 淺沼武夫(23.1.15就任)
淺沼武夫(昭和23年1月15日〜昭和24年3月31日)
(写真は、淺沼会長)
副会長 三谷 靖
理 事 岡田保治、光武種助、
町田秀穂、品川喜八、
山口峯一、木戸利一、吉田経男
幹 事 天野 清、長崎克敏

長崎医大学長 古屋野宏平、国立嬉野病院長に転出、高瀬 清教授が学長事務取扱いに任ぜられる(1.22)。
新制社団法人長崎県医師会の定款成立(2.12)。
長崎市鳴滝町のシーボルト宅跡、史跡地として保存することに決まる。シーボルトの孫楠本チエの陳情により農地としての強制買い上げ中止になる(2.15)。
長崎市に発疹チフス流行、患者14人(3.1)。
国民健康保険法改正、保険組合を市町村単位に設ける事とする(6.−)。
社会保険診療報酬支払基金法公布(7.10)。
優生保護法公布(7.13)。
医師法・医療法・歯科医師法・保健婦助産婦看護婦法公布(7.30)。
7.−ABCC(原爆傷害調査委員会)興善町の長崎医大附属第1医院に一時的の施設を開設、活動を開始(昭25.8 桜馬場町の長崎教育会館に移る)。
健康保険の甲地標準単価10円・乙地9円を定む、10月より1円ずつ値上げする(8.1)。
長崎県中央保健所(今魚町)が長崎市に移管され、長崎市保健所として発足(10.1)。
11.−長崎市、日本医療団の解散により長崎県中央病院「長崎慈恵病院」を買収、12.1長崎市立市民病院として開設することにした。
長崎医大創立90周年、大学昇格25周年記念式を挙行(11.12)。
長崎医大学長に高瀬 清教授が就任(12.6)。
12.−社会保障制度審議会設置法公布。
24年
(1949)
長崎県医師会第3回臨時総会を開く(3.13)。
淺沼武夫会長辞任、再び高尾克巳会長(第2次高尾克巳会長時代)就任、副会長は2人制となる。

会 長 高尾克己(24.3.13就任)
高尾克己(昭和24年4月1日〜昭和31年4月11日)
(写真は、高尾会長)
副会長 辻村秀夫、梅江田純
理 事 品川喜八、岡田保治、小林 茂、
光武種助、白浜仁吉、木谷勝次、
鮫島宗誠
幹 事 今村春吉、朝長伝治
「楢林宗建種痘接種の図」クリックすると拡大できます
(楢林宗建種痘接種の図)
昭和天皇、長崎市に御巡幸、長崎医大附属医院内科病棟屋上で大橋 博長崎市長の原爆被害及び復興状況の説明を受けられる(5.27)。
九州医師会医学会準備委員会、新制長崎大学設置(5.31)。
郡市医師会長会議(6.15)。
長崎医大附属医院を附属病院と改称(6.22)
長崎大学医学部長 高瀬 清、長崎大学長に就任(6.29)。
長崎市、中央保健所の新庁舎が酒屋町に完成、今魚町から移転する(10.1)。

長崎大学開学式、片渕町の経済学部講堂で挙行(11.1)。
第49回九州医師医学会、長崎市南山手町の活水女子専門学校で開催(11.4)。
長崎市議会、永井 隆に名誉市民の称号を贈ることを決議(12.3)。
前長崎県医師会長(現長崎市医師会長)淺沼武夫が死去(12.11)。
楢林宗建種痘実施百周年記念講演会を長崎市榎津町の市医師会館3階講堂で開催(12.27)、郷土史家 古賀十二郎が「楢林宗建の牛痘接法に就いて」講演、続いて長崎大学医学部細菌学教授 青木義勇が「種痘の変遷とこれを巡る人工免疫の進歩」を講演した。
25年
(1950)
長崎県医師会役員改選(3.20)

会  長 高尾克己
副会長 木谷勝次、宇宿誠五
理  事 光武種助、品川喜八、深堀保郎、
小林 茂、岡田保治、鮫島宗誠、亀井照見
監  事 朝永伝治、今村春吉

医療法人制度採用される(5.1)。
朝鮮戦争勃発(6.25)。
長崎県医師会第3回代議員会・郡市医師会長会・医師連盟各支部長会(9.9)。
長崎大学医学部附属病院事務部及び臨床各教室(附属病院各科)10.6までに新興善小学校舎から6年ぶりに浦上の旧構内に復帰、附属病院外来診療所だけを新興善小学校舎内に残す(10.2)。
この年G.H.Qより医薬分業の勧告あり、賛否両派が対立。
26年
(1951)
臨時医薬制度調査会が医薬分業採用決定を答申(2.28)。
社会福祉事業法公布(3.29)。
長崎医大放射線科前教授 永井 隆、慢性骨髄性白血病で死去・享年43歳(5.1)。
長崎港外神の島に真性天然痘発生(5.4)。
長崎県医師会(定時)代議員会・第3回定時総会(5.12)。
名誉市民・故永井 隆の市公葬、浦上天主堂で執行(5.14)。
日本、WHOに正式加盟(5.16)。検疫法公布(6.6)。
健康保険診療担当医師大会(6.17)。
7.−長崎県医師会報第1号を発刊。県医師会健康保険対策実行委員会の発足(7.26)。
長崎県医師会第5回(臨時)代議委員会(8.18)。
国立診療所、茂木町田上に米国対日援助見返資金で建設され開所式(11.10)。
長崎市稲佐保健所開所式(12.6)。
長崎県医師会第6回(臨時)代議員会(12.15)
長崎大学医学部附属病院外来診療所、興善町35番地の本部の裏地に移転(12.27)。
27年
(1952)
新春以来、長崎市内に赤痢が流行、6.20までに患者310人に達する(2.15)。
長崎県医師会臨時代議員会・第8回定時代議員会(3.12)。
長崎県医師会准看護婦養成所の開設(4.1)。
長崎県医師会第4回定時総会・第9回(臨時)代議員会(4.27)。
長崎大学、6.6退職の高瀬 清学長の後任に佐世保市民病院長・元長崎医大学長の古屋野宏平を全学一致で推薦(9.4)。
11.18就任。長崎県医師会第10回臨時代議員会(12.12)。
28年
(1953)
元長崎医専精神科教授 斉藤茂吉死去・享年70歳(2.25)。
長崎県医師会定例代議員会(3.28)。
3.−社会保険喜々津病院開設。
厚生省組織規程の一部改正により国立療養所川棚病院誕生(4.1)。
長崎市原爆障害者治療対策協議会(原対協)発足、6月から原爆障害者の無料診療を開始(5.14)。
長崎県医師会第5回定時総会(5.17)。
長崎原対協、原爆障害者の実態把握のため長大医学部北講堂で障害者の総合診療を開始(8.1〜9.30 受診者数1874人)。
長崎県医師会准看護婦養成所の認可(10.27)。
完全看護・完全給食・完全寝具設備制度設定(12.1)。
医師法・歯科医師法・保健婦助産婦看護婦法の各施行令公布(12.8)。
この年、水俣病発生(有機水銀のメチル水銀による中毒、熊本県水俣市周辺に見られる)。
29年
(1954)
長崎県医師会第12回定時代議委員会(3.14)。
福江町、市制施行(4.1)。
長崎県医師会の新役員決まる。

会  長 高尾克己
副会長 木谷勝次、西川 茂
理  事 深堀保郎、光武種助、品川喜八、津田稲夫、
雨森二郎、向笠 潜、本川千代喜、亀井照見、
大久保博舜、北村精一、千住雄造、松下仙次、
幸野次郎


長崎県医師会第6回定時総会(佐世保市)で「強制医薬分業絶対反対」を決議(4.25)。
医薬関係審議会設置法公布、医薬分業実施のための準備に入る(6.1)。
長崎県医師会第13回臨時代議員会(6.23)。
市町村職員共済組合法公布(7.1)
7.−県下各地に赤痢が流行、長崎市でも29人発生。

【戦後、長崎市の赤痢発生状況】
昭和21年 215人(死亡23) 昭和26年 188人(死亡 7)
昭和22年 113人(死亡20) 昭和27年 607人(死亡 7)
昭和23年  24人(死亡 1) 昭和28年 922人(死亡10)
昭和24年  25人(死亡 2) 昭和29年 395人(死亡 2)
昭和25年  43人(死亡 3)

長崎県医師大会(長崎市袋町・カトリックセンター)で強制医薬分業に絶対反対など決議(7.11)。
西洋医術伝来史の著者・古賀十二郎死去・享年76歳(9.6)。
長崎県医師会第9回郡市医師会長会(9.30)。
県立整肢療育園を諫早市に開設(11.1)。
長崎大学医学部風土病研究所助教授 片峰大助、西日本学術文化賞を北村精一と共同受章(11.3)。
長崎県医師会第14回臨時代議員会(11.9)。
医療分業強制実施のための法律改正を実施延期に改正する法律公布(12.4)。
長崎県医師会第15回臨時代議員会(12.18)。
30年
(1955)
クリックすると拡大できます。
(長崎医科大学旧正門)
平戸町、市制施行(4.1)。
長崎県医師会第16回定例代議員会(3.20)。
平戸市医師会成立(北松医師会から分離・独立)・長崎県医師会互助会設立(4.1)。
ソークワクチン(小児麻痺ワクチン)発表される(4.13)。
健保の財政政策のため7人委員会発足(5.9)。
長崎県医師会第7回定例総会(5.15 島原市)。
6.−粉ミルク中毒事件起こる。
長大医学部、原爆犠牲者追悼会10周忌を挙行、元医大門柱の保存除幕式、「追悼−長崎医科大学原子爆弾犠牲者の霊前に捧ぐ(原爆10周年記念出版委員会)」を発行(8.9)。
第55回九州医師会医学会、長崎市(県立長崎東高 その他)で開催される(10.22〜23)。
この年、国友 鼎長崎医大名誉教授、長崎新聞文化章受章。
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