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長崎県の医療史
戦後の医療史
昭和時代(41年〜50年)
41年
(1966)
長崎市、医療費の高騰による国民健康保険被保険者の負担過重軽減のため、世帯員7割給付を実施(1.1)。
長崎県医師会臨時代議員会(1.23)。
長崎県医師会第58回臨時代議員会(41.4〜43.3迄の新役員選出、2.24)。

会 長 瀧津久次郎
瀧津久次郎(昭和41年4月1日〜昭和59年3月31日)
(写真は、瀧津会長)
副会長 鏑木重美、雨森二郎
常任理事 石井清英、賀来 勲、今村臣正、
朝長正允、前田 実、原口哲之、宇宿隼男
理 事 浜田正夫、立石弥七郎、久見恵治、
松村 威、副島 勲、芦塚卓郎、
本郷芳郎、瀬戸勇美
幹 事 川崎政次、中村英夫

長崎県医師会第59回定例代議委員会(4.10)。
4.−日本医師会長に武見太郎6選。第11回九州学校医会総会(8.19 佐世保市)。
長崎市医師会、日曜当番医制度実施(9.4)。
シーボルト・ケンペル記念顕彰式典(10.13)。
この年、古屋野宏平元長崎大学長、長崎新聞文化章を受章。
42年
(1967)
日本血液銀行協会、買血をやめ預血制度採用を決定(1.12)。
長崎県医師会第61回代議員会(3.26)。
北松浦郡医師会館落成式(4.23)。
長崎県医師会第19回定例総会・第13回互助会総会・医師連盟大会・健保法抜本改正促進大会(5.7 佐世保市鹿子前九十九島観光ホテル)。
長大医学部風土病研究所を熱帯医学研究所に改組(6.1)。
長崎県学校医総会(6.18 長崎市栄町県医師会館)。
長崎県医師会・佐世保市医師会館主催「高年者の健康を守る大会」開催(12.3 佐世保市公会堂)。
43年
(1968)
新制長崎県医師会20周年記念座談会(2.10 長崎市思案橋「松亭」)。
県医師会監事 川崎政次急逝(2.20)。
長崎県医師会第63回代議員会(2.23)。
長崎県医師会新役員(43.4〜45.3)

会  長 瀧津久次郎
副会長 鏑木重美、前田 実
常任理事 石井清英、今村臣正、朝長正允、原口哲之、
宇宿隼男、瀬戸勇美
理  事 浜田正夫、立石弥七郎、久見恵治、松村 威、
副島 勲、芦塚卓郎、本郷芳郎、高野九洲男、
城谷勝明
監  事 中村英夫、松尾克巳

長崎県医師会第64回代議員会(3.28)。
4.−長崎県離島医師圏組合設立。
医師法改正によりインターン制度廃止。研修医制度発足(5.10)。
長崎県医師会第20回定例総会・第14回互助会総会・医師連盟大会(5.26 平戸市田口楼)。
長崎県医師会第65回代議員会(7.7)。
国立長崎中央病院名誉院長 篠崎哲四郎死去・享年80歳(8.25)。
島原市医師会館の落成(9.29)。
秋月辰一郎(長崎市)、今道徹哉(佐世保市)、日本医師会最高優功賞(11.1)。
第68回九州医師会医学会(11.16〜17 長崎市公会堂)。
大塚赫夫(佐世保市)長崎新聞文化章(11.28)。
古屋野宏平長大名誉教授、長崎市名誉市民に選ばれる(12.21)。
哲翁たまよ(南高来郡医師会)、口之津町名誉町民に選ばれる(12.28)。
44年
(1969)
1.14〜3.5長大紛争(学生会館の管理問題)。
長崎県医師会第66回代議員会(3.23)。
県立出島病院廃止・長大学長 後藤敏郎、健康上の理由で学長を辞任(3.31)。長崎市、長崎原爆病院を日赤へ移管(4.1)。
前県医師会長 木谷勝次死去(4.24)。
長崎大学長に中塚正行広島大学医学部長(長大昭12卒)が就任(5.7)。
長崎市、川口町に北保健所を開設(5.15)。
長崎県医師会第21回定例総会(5.25 島原市医師会館)。
県下に集中豪雨、長崎市滑石団地にがけ崩れ、3人死亡・1人重傷(6.29)。
長崎県医師会第67回代議員会(7.22)。
県医師会、北松浦郡医師会を表彰(8.3 吉井町の集団赤痢の献身的対処)。
諫早市医師会、西日本文化章受章(11.3)。
45年
(1970)
長崎市医師会、保健診療時間を1日8時間に制限(1.16)。長崎県医師会
第68回代議員会(2.22)。
長崎県医師会新役員(45.4〜47.3)

会  長 瀧津久次郎
副会長 鏑木重美、前田 実
理  事 瀬戸勇美、今田正夫、松村 威、浜田正夫、
芦塚卓郎、久見恵治、副田 勲、石井清英、
今村臣正、原口哲之、宇宿隼男、城谷勝明、
本村昌幸、立石弥七郎
監  事 中村英夫、松尾克巳

長崎県医師会第69回代議員会(3.22)。大村市医師会准看護婦学校開設(4.5)。長崎県学校医会・昭和45年度第1回総会、長崎県学校医部会・昭和45年度第1回総会(4.29)。
  長崎県医師会第22回定例総会(5.24 南高来郡小浜町)。長崎県医師会第70回代議員会(7.19)。
  長崎県医師会郡市医師会事業関係連絡協議会(9.23)。
46年
(1971)
諫早市医師会准看護婦学校校舎落成式(2.12)。
第7回長崎市公衆衛生大会(3.3)。
長崎県医師会第71回代議員会、健保法一部改正反対・診療報酬体系の確立などを決議(3.14)。
長崎原子爆弾被爆者中央診療所、興善町の市消防局車庫跡に完成・落成式を挙行(3.30)。
長崎市中央保健所、脳性小児麻痺などの乳幼児を対象に無料でリハビリテーションを始める(3.−)。
長崎市高等看護学院完工落成式(4.10)。
県下各郡市医師会で健保改悪阻止の抗議集会(5.4)。
長大名誉教授 調 来助、勲二等端宝章を受章(5.6)。
長崎県医師会、保険医総辞退に突入(7.1)。
長崎県医師会第23回定例総会、健保の抜本改正等の実現を期し決議(7.11)。
保険医総辞退の態勢を解除(7.31)
長崎市立長崎病院の新結核病棟、完工落成式・120床(8.24)。
白髪勝世(長崎市医師会)、日本医師会最高優功賞を受章(11.1)。
下村 宏(長崎市医師会)、長崎新聞文化章を受章(11.25)。
長崎市医師会、万屋町(旧榎津町)から新地町に移転新築、12.18落成、名称を長崎市医師会医療センターと改む。
47年
(1972)
昭和46年12月からの長崎市医師会館
(昭和46年当時の長崎市医師会館
長崎市医師会史掲載使用)
交通事故で頭を負傷、意識不明のまま女児を分娩、8年間昏睡状態を続けていた長崎市の女性(33歳)、十善会病院で死亡(1.4)。
長崎市伊勢町と八幡町で下水工事中に約300年前に造られた長崎で最初の水道施設「倉田水樋」がほぼ原型のまま発掘される(2.15)。
元長崎県医師会副会長 雨森二郎死去・享年66歳(2.20)。
原爆被災資料センター(仮称)設置推進設立準備懇談会、長大医学部で開き実行委員8人を選び、設立準備委員会が発足(2.23)。
日赤長崎原爆病院内にガン治療施設R・Iセンター完成・総事業費1億6073万円(3.31)。
長崎県医師会長に瀧津会長4選(4.1〜2年間)。
4.−佐世保市民病院と北病院が統合し「佐世保市立総合病院」と名称を変更して発足・病床数512床。
長崎県医師会第74回代議員会(5.28)。
長崎県医師会第24回定例総会、健康保険改悪諸法案等の粉砕を決議(6.11)。
第3回長崎県医師会学校医部会総会(7.23)。
島原市長選に宮崎忠夫(島原市医師会)が初当選(12.3)。
第33回衆議院選に医師 白浜仁吉(長崎2区)が当選(12.10)。
48年
(1973)
1.1老人医療費無料化実施で長崎市ねたきり老人医療費支給条例施行。市当局は市内居住の65歳以上70歳未満で3ヶ月以上ねたきり老人に対し、医療の自己負担分を助成。48年度のねたきり老人医療費支給件数341件・支給額579万8519円。また老人福祉法の改正で満70歳以上の老人に対する医療費自己負担分を無料化、48.10.31現在、市の老人医療費受給者は6819人。西彼大瀬戸町の雪浦ダムから長崎市が取水する補償交渉、8000万円で妥結(1.29)。
長崎県医師会第75回代議員会(2.24)。
長崎県医師会第76回代議員会、中医協会長不信任、総辞退に12項目の早急実現を決議(5.27)。
長崎県医師会第25回定例総会(6.17 長崎市医師会医療センター)・中医協廃止・スライド制実施を決議、丸茂参議院議員来崎し講演(6.17)。
厚生省医務局に医療情報システム開発調査室を開設(8.1)。
高岡善人長大医学部教授に日本医師会最高優功賞(11.1 日医会館、メディカルアドミニストレーションに貢献した功労)。
この年、哲翁たまよ(南高来郡医師会)、長崎新聞文化章を受章。また、長崎市中央保健所予防接種室に脳性小児麻痺治療訓練室を特設(5.1)。
米国から返還の原爆資料約1万2000点が長大医学部で初公開される(5.14)。
第13回下水道促進デー、長崎市の水洗世帯9799世帯・普及率7.3%(9.10)。
49年
(1974)
長崎県医師会第77回代議員会・瀧津久次郎会長5選(2.24)。
長崎県医師会第78回代議員会(3.24)。
長崎県医師会新役員(49.4〜51.3)

会  長 瀧津久次郎
副会長 鏑木重美、前田 実
常任理事 今村臣正、原口哲之、宇宿隼男、瀬戸勇美、中島輝男
理  事 浜田正夫、久見恵治、副田 勲、石橋 博、
高木聰一郎、 松尾小太郎、糸賀 敬、西村信一、
犬尾博治、高松信夫
監 事 松尾克巳、村田晨六

南高来郡医師会会員 哲翁たまよの胸像、口之津町に建立される(4.28)。
長崎県医師会副会長 鏑木重美死去・享年62歳(4.29)。
長崎県医師会第79回代議員会、副会長に今村臣正常任理事が昇任決定(6.9)。長崎県医師会第26回定例総会(6.16 佐世保市医師会館)。
未熟児網膜症から子供を守る会県支部発足(6.26)、4人の弁護士、未熟児網膜症県弁護団を結成(6.29)。
日赤長崎原爆病院、過去1年間(48.8.1〜49.7.31)の被爆診療状況を発表、新たに97人(昨年比1人増)が死亡、癌が最も多く、全体の3分の2を占め、認定患者7人も死亡(8.5 長崎新聞)。
吉田秀治(佐世保市医師会)・古藤 満(対馬医師会)、長崎新聞文化章を受章(10.8)。
長崎市立市民病院の新館(地下1階・地上7階建)が完成、診療業務開始(10.25)。
第5回長崎県医師会学校医部会総会(11.20)。
日赤長崎原爆病院、経営危機乗り切るため地元銀行から4億円を借入し急場をしのぐ(12.2)。
長崎県医師会第80回代議員会、租税特別措置法改廃反対を決議・補欠選挙で理事に牟田末人(長崎市)、監事に草野源一郎(諫早市)を選出。
50年
(1975)
長崎大学医学部附属原爆被災学術資料センターが医学部構内に完成(3.22)。
長崎県医師会第81回代議員会(3.30)。
日・米共同運営(財)放射線影響研究所発足し開所式を長崎・広島両研究所で挙行、理事に長大名誉教授 調 来助が就任(4.1)。
長崎県医師会看護学通信教育講座の名称をMS学院と変更(5.11)。
九州医師会連合会第29回定例委員会総会(5.17 長崎市)。
平戸市医師会創立20周年記念式典・長崎県医師会第82回代議員会・第27回定例総会(6.8)。
長崎市医師会医療センター5階講堂落成式(6.15)。
長崎市新興善小学校に特設救護病院記念碑が完成(8.6)。
全国MS学院秋季大会を長崎市で開催、日本医師会の基本方針が発表される(9.13)。
第75回九州医師会総会・医学会が長崎市で開催される(11.21)。
長崎市立市民病院の増改築工事が完成・落成式・総工費16億7000万円(12.1)。
この年、医薬分業に対して医療機関で第2薬局の設置が相次ぐ。
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