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2009年4月掲載

リビングウイルとは

 最近の医療の進歩は目覚ましいものがあります。これまで不治の病とされてきたがんなどに対しても有効な治療法が見つかり、これまではあきらめてしまっていたケースでも命が救われ、延命が可能となってきました。

 その半面、現在の医療技術でも治る見込みのない病気にかかっているにもかかわらず、延命治療により、自然の死を迎えることができない場合もあります。その結果、「人生の最期をどう迎えるのか」ということに関心が集まるようになってきています。

 治る見込みのない病気にかかり、死期が近づいているときに、たとえ苦痛を伴う治療であっても、医師の延命治療を受けるのか、それとも自然に任せて死を迎えるのかという終末期医療の在り方が問われています。それはつまり「生の質」が問われているとも言えます。

 病床に伏し、口も利けない状態になれば、自分がどのような治療を望んでいるのか、治療者側に伝えることができません。そのため、自分が治る見込みのない末期患者になったときのことを想定して、「無意味な延命措置を拒否する」「苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい」などの要望をあらかじめ意思表示し、それを記録した“遺言書”のようなものを作成しておくことを「リビングウイル」といいます。

 リビングウイルの実現のためにはインフォームドコンセント(十分な説明と同意)が必要になります。しかし、リビングウイルに書かれている内容をいざ実行に移そうとすると、「安楽死」と「尊厳死」という問題に突き当たります。

 この二つの言葉はしばしば混同されることがありますが、全く違うものです。安楽死は、苦痛を訴えている患者に第三者が同情して、安らかに死なせるという「殺人」の意味合いも含まれており、どのような場合であっても医療としては認められません。それに対して尊厳死は、あらかじめ示された患者の意思により、延命措置をせずに自然な状態で死を迎えることを意味します。

 現在、この尊厳死を望む患者の声は急速に高まっています。しかし、たとえ患者の自己決定権の考えが定着しつつあるとしても、終末期医療における医療従事者としての医療行為には高い道徳性と倫理性が求められ、法的にも限界があります。

 そのため、今後も医師や患者、家族が、臨死とその看取り(みとり)、治療の中止など終末期医療のあるべき姿について、より一層議論を深め、共通の認識を持つことが望まれます。

 長崎市医師会は本年度から市内の病院や診療所などと連携し、がん患者らの心身の苦痛を和らげる効果的な「緩和ケア」を研究するモデル事業を始めました。厚生労働省の補助事業で、三カ年の予定です。その中で、地域の特性や医療施設の状況に応じてリビングウイルに関する広報を行うことにしており、将来的には医師会独自のガイドラインを作成していきたいと考えています。市民の皆さんも家庭で話題にしていただければ幸いです。

(長崎市新地町、山の手クリニック院長 院長  長崎市医師会 理事  中谷 晃)

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