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2020年1月20日 掲載

「長崎市の災害医療」

4区域ごとに体制構築

 長崎では昭和、平成を通して四つの大災害が起こりました。 1957(昭和32)年の諫早大水害(死者行方不明者782人)、67(昭和42)年の豪雨(同50人)、82(昭和57)年の長崎大水害(同299人)、90(平成2)年の雲仙・普賢岳噴火災害(同44人) です。

 一方、全国に目を向ければ戦後、1959(昭和34)年の伊勢湾台風(同5098人)、72(昭和47)年の豪雨(同447人)があります。平成に入ると、95(平成7)年の阪神・淡路大震災(同6400人以上)、2011(平成23)年の東日本大震災(同2万人以上)という、桁違いの大災害が起こっています。

 また、最近の災害では、局地的集中豪雨災害が目立っており、地球温暖化が原因だといわれています。
 これらの事実が示すのは「災害は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)、そして「起こる可能性のあることはいつか実際に起こる」(マーフィーの法則)という二つの教訓です。「長崎で大きな災害はあまり起こったことがない」と思っているそのときに、予想だにしない大災害が起こると考えられます。

 現在、長崎市と市医師会は共同で、市内の災害医療体制を構築しつつあります。
 同市の特徴は、その地形にあります。港町特有の傾斜地であること、南北に細長く、主要な連絡道路が1本しかないことです。いったん災害が起こると各地域が分断され、被災者や物資等の搬送が難しくなります。

 地形に合った災害対策を考えると、市内を4区域に分け、それぞれが自助できる体制をつくることが最善だと思われます。市は2016年から市内の行政区域を中央、北部、南部、東長崎に分け、それぞれに総合事務所を設けています。行政業務を市役所本庁が全て行うのではなく、地域ごとに対応する形です。

 災害医療体制は、この行政区域と連動するのがベストだと判断しています。すなわち、区域ごとに医療体制を組み立て、独立して対応できるようにしようとするものです。区域ごとに大きな病院を中心とした互助体制をつくり、診療所の先生方も協力し合うという形です。

 例えば、災害時にけがをした人たちが近くの大きな病院へ詰め掛け、病院の医師や看護師だけでは対応できない場合が考えられます。そこで近くの診療所の医師が大きな病院へ駆けつけ、協力するというわけです。市からも物資、人員、情報等で協力する形になれば心強いものとなります。

 長崎では大きな災害は起こらない−と考えがちですが、地球温暖化により、逆に災害が起こりやすい地域となっていることを十分かみしめ、対応することが必要になっています。

 「自助・互助・公助」が災害時の基本です。われわれ医療者は長崎大水害などの悲劇を思い起こし、一人でも多くの人を救えるよう、普段から準備、活動、啓発をしていく義務をひしひしと感じています。 平時から、十分に取り組んでいきたいと考えています。

長崎市医師会 理事(災害医療担当)  井上 啓爾

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